井口洋夫先生は昭和23年に東京大学理学部を 卒業,同大大学院を経て昭和25年に同大学理学 部助手,昭和34年同大理学部助教授,昭和35年 には同大物性研究所助教授,昭和42年に同大物 性研教授に就任されました。昭和40年代半ばよ り,赤松秀雄教授,長倉三郎教授と共に分子科 学研究所の設立に奔走され,昭和49年分子科学 研究所創設準備室長,昭和50年分子科学研究所 教授に就任されました。昭和62年に分子科学研 究所を停年退官されたのち,同研究所所長,平 成5年に岡崎国立共同研究機構長に就任され, 平成7年3月に退官されました。この間,分子 科学研究所で人材育成に努力され,多くの優れ た研究者を世に送り出しました。
私の研究履歴書
井 口 洋 夫
私は平成13年度の文化勲章受章の栄誉に浴しました。この受章は,恩師,先輩の卓越した指導,同僚そして多くの 研究協力者との共同研究によって初めて可能となったのです。ここで,改めてその方々に心より御礼と感謝の言葉を 述べさせて戴きたいと思います。
私は,三つの機関に所属し,そこで教わり,そして育てられました。三つとは,東京大学理学部化学教室(1945− 1960),東京大学物性研究所(1960−1975),そして,1975年新設の分子科学研究所(1974−1995)です。その間に 2年間,ラムゼーフェローとして英国ノッチンガム大学で留学生活(1955−1957)を送り,科学に対する考え方の巾 を拡げることが出来ました。
第二次大戦が激化する1945年4月東大理学部に入学,終戦をはさんで1948年卒業しました。その当時の教育・研究 環境は,現在の日本の現況からは,想像すら出来ない不自由な時代でした。しかし,すべてが不自由でしたから,不 自由とは思いませんでした。むしろそれから抜け出そうとする活気のある時代だったように思います。ガスの時間供 給に悩まされながら,停電中の暗い実験室ですぐれた先輩の科学談義から,「研究とは何か」と云う最も基本の問題を学 んだ時代だったと思います。
井口洋夫先生の文化勲章受章を祝して
卒業実験では,鮫島実三郎先生から「炭素
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の電気抵抗測定」(日本化学会誌 70,185 (1949)) と云う課題が与えられ,赤 松秀雄先生の指導を受けました。炭素粒子間の電気伝導が,粒子間の接触抵抗だけでなく粒子自身の特性を反映して いるとして,「炭素粒子間で電子が動くのであれば,その“ 切れ端” である多環芳香族化合物間でも電子の移動があっ てよいのではないか」との単純な発想から,有機固体の持つπ電子による電気伝導の研究に入りました。研究室では赤 松先生らによって炭素類の構造モデルとしてビオラントロンが取上げられていました。当時は研究の速度がおそく,測 定装置を工夫し,数年にわたってビオラントロンの精製を繰返す時間的余裕のある時代でした。それから50年余,同 じ道を歩いて参りました。またその頃は,固体物理学の勃興期で,そこから多くのことを学び,それを活用させても らいました。無機半導体と対比して,光伝導,固体スペクトル,光起電力効果等の測定から,「これらの有機固体は半 導体の特性を持ち得る」として,その物質を有機半導体と名づけました。1954年のことでした。
一方,赤松研究室では有機固体の磁性測定が行われており,芳香族化合物の反磁性が研究されていました。松永義 夫博士は,芳香族化合物とハロゲン錯体が示す異常な磁性に着目,するどい洞察力の許で,研究を展開し,その電気 伝導度の測定から高伝導性有機固体の発見に到達しました。芳香族化合物としてはペリレン(C20H12)を選択し,ハロ ゲンとして臭素を用いて数Ωcm の電荷移動錯体(当時は付加化合物と呼んでいました)を得ました。錯体自身が金属 電極との反応性が高く,定量的測定は困難を極めましたが,電極付近に黒鉛を添加,ハロゲンとの間でインターカレー ション化合物をつくることによって,再現性のある測定結果が得られるようになり,1954年に発表しました。現在は ハロゲンドーピングと呼ばれている手法です。
前述しましたように,1955年から英国に留学する機会が与えられました。指導教官の E ley 教授は,E ley-R ideal モデ ルの提唱者として触媒研究の指導的立場にある研究者ですが,生体物質(ポルフィリン)からの連想で染料であるフ タロシアニンの伝導に進まれた固体化学の研究者でもあります。私は,そこで「生体物質中のエネルギー伝達は何か」 の教示を得て,現在もシトクロム c3の伝導に取組んでおります。在英中,有機物質のみの錯体が有機半導体になり得 ることを報告にまとめました。
1960年,東京大学物性研究所に転出しました。抜群の能力を持つ同僚と,研究室(研究室名は界面物性)の立ち上 げ,有機固体の基本物性―イオン化電圧,仕事関数等―の実測と,伝導度の精密測定を行いました。実験の繰返 しを通して次第に「有機物質も電気を流してよい」とする考え方が一般に受入れられて参りました。最大の弱点であっ た“ 試料が多結晶(粉末)” と云う問題も,薄膜と微小結晶の利用,更に構造解析の定量的結果の累積によって,体系 が整えられ,物理学など他分野からの認知も得られるようになって参りました。それによって,有機半導体・導体の 研究者層も格段に拡がりました。
特に電荷移動錯体についてはその構成単位である電荷供与体と電荷受容体の構造が描き出され,“ 分子設計”の立場 で物質探索が拡がり,合成化学者の参加が得られるようになりました。そして,有機導体,そして有機超伝導体への 展開が日本に於て急激に拡大し,現在も大きな発展がつづいています。
1974年,分子科学研究所創設準備室が設置され,私はその準備室に参加することになりました。分子科学の概念は 日本で誕生し,育ち,そして研究所と云う形で開花したものです。明治,大正以来の物理化学の発展の結果熟成した
“ 分子科学研究所” は,森野米三,赤松秀雄,長倉三郎らのリーダーによって組立てられ,学術会議の勧告
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を経て,大 学共同利用機関として1975年に発足,その設置場所は岡崎となりました。若し,分子科学研究所が設置されていなかっ た場合の現在を考えた時,これらリーダーの方々の努力,特に長倉先生の設立に対する情熱を側にいて知っている者 として尊敬の念を超えるものがあります。
丘に人材が集まって参りました。初代赤松所長の一言「新設の強みは少々の失敗が許されることだ。然し,同じ失敗を 二度はするなよ」は,重みがありました。そして長倉所長の時代に更に発展して多くの人材が集う研究所となりました。
そこでも,私は優れた有能な研究者集団にめぐまれて,建設が一段落する夜に,研究の打ち合わせを行うことが出 来ました。
有機結晶(薄膜を含めて)の光電子放射測定は,分子研での建設が認められた放射光源の利用によってエネルギー 依存性の研究などがより精緻に進められ,「定量的議論に耐え得る」成果が得られました。そして,B E D T -T T Fが合成さ れ,この一種の分子は,現在でも有機超伝導体発展を牽引している重要物質です。
有機半導体は有機分子の集合体で,その構成単位の分子になっても機能を持ち続けています。これは無機半導体の ゲルマニウムやシリコンと異なる点です。即ち,分子一個一個に素子となり得る特性―輸送,貯蔵そして制御― を付与することが出来,分子の機能をエレクトロニクスに結びつけられるとして,分子素子という言葉を用いました。
「固体素子から分子素子へ」と云う課題で話題提供をする機会が与えられたのは,1982年の物性研25周年記念の会合で した。一個分子の上記三つの特性の中で,電子の挙動をどのようにして“ 制御” するかはきわめて困難な問題であり ますが,挑戦すべき課題と思います。
1995年,多くの方に支えられた掛け替えのない思い出を持って,分子研そして岡崎での仕事を了えました。そこで も多くの有能な研究者・技術者と共に,有機半導体の研究を進めて来れたことを誇りとし,心より感謝しております。
最後に,研究所がその機能を充分発揮できるためには,研究・技術・運営を受け持つ三本の柱がしっかりと束ねら れて初めて可能になるという思いは今も変りません。その思いは,現在私に与えられた仕事でも貫きたいと思って努 力しております。
研究を共にした方々の名前は、別の機会に述べさせて戴くべくここには記しませんでした。 皆様,本当に有難うございました。
著者注
1) ここで炭素とは種々の炭素粒子のことで,グラファイト,アセチレンブラック,カーボンブラックなどの多様 な粒子群のことです。
2) 日本学術会議第6期,第44回総会(1965年10月)で「分子科学研究所の設立」が勧告されました。当時会員だっ た赤松秀雄教授は,その思い出に上野にあった学術会議の庭の椿の実を採って鎌倉の先生の自宅に植えられま した。先生が分子研を退任されるとき,赤松記念樹として,それを分子研の実験棟の裏庭に移植し,今は大樹 に育っています。私事ですが,その実を拾って,都築重次氏の家で3ヵ年育ててもらい,私の退官の際目白の 自宅に移植して現在に至っています。未だやせた椿ですが,いずれ花をつけて呉れると思います。
お祝の言葉
東京大学名誉教授 原 田 義 也 井口洋夫先生の文化勲章のご受章を心からお祝い申し上げます。
井口先生が東京大学理学部化学科から物性研究所(界面物性部門)へ転出されたのは,1960年秋です。私は理学部 化学(赤松研究室)の博士課程を中退して,翌年の3月に新設の井口研究室の助手として採用されました。
当時,物性研の分子部門には長倉三郎先生がおられ,研究室間の活発な交流がありました。今では想像もできませ んが,長倉・井口両先生が昼休みのキャッチボールに参加されたこともあります。私はこの頃に井口先生のご指導で有 機固体の光電子放射の仕事を始め,その後も電子分光関係の研究に終始しました。井口先生は物性研ご在任中の1965年 に赤松秀雄先生とともに日本学士院賞を受賞されました。その後のご活躍は皆様よくご存じの通りです。
以上,井口先生の物性研時代の思い出を若干記しました。先生の今後のますますのご健勝を祈り,お祝いの言葉に 代えさせていただきます。
法政大学工学部教授 丸 山 有 成 井口洋夫先生,平成13年度文化勲章の御受章まことにおめでとうございました。学部の学生時代から今日までずっ と先生のご薫陶を受けている者の一人としまして,心からお祝い申し上げます。卒業研究として赤松研究室配属とな り,井口先生の居室兼実験室で実験をはじめさせていただいたころは,今回の御受章の発端となっている有機半導体, 導体の発見が既になされそれらの概念の確立と更なる大きな展開が図られていたときだったと思います。そのころ先 生が議論され画いておられたことが最近になっていくつか実現されつつあるのを見まして(単一種分子金属結晶,エ レクトロニクスに向けての分子デバイスなど),あらためて先生の先見性の凄さと大きさに感じ入っております。どう かこれからも十分ご健康に留意されて,いつまでもお元気で不肖の弟子をご指導下さいますよう御願い申し上げつつ, 御祝詞とさせて頂きます。
京都大学大学院理学研究科教授 齋 藤 軍 治 井口洋夫先生 文化勲章の受章 誠におめでとうございます。私が分子科学研究所の助手として採用され,先生に実質 上初めてお会いしましたのが,昭和54年の5月でした。当時,先生は50代の初めで,新しいアイデアがふつふつと沸 くエネルギッシュな時期を過ごされてました。赴任早々,「齋藤君,助手は1日12時間以上仕事をしなければいけませ ん」のようなことを言われたことを思い出します。私が30代半ばで,分子研で一番年寄りの助手であったことを懸念 されてのことだと思います。分子研では,テトラベンゾペンタセン(T B PA )薄膜の超高真空での光伝導度測定,有機 伝導体の原料作りと2次元伝導体 B E D T -T T F 系の開発を行いました。B E D T -T T F 分子の類縁体であるTTCn-TTF 分子 でのファスナー効果,T T eC 1-T T F での atomic wire 等 , また,少しお手伝いしたチトクローム c3の伝導度などは,まさ に井口先生の非常に個性的なアイデアの産物であり,その後の私の研究に多いに役立たせていただきました。先生の 助言どおり労働時間は十分にクリアーしたと思います。最後に,今回の受章に関連する幾つかのテーマに参加させて
名古屋大学物質科学国際研究センター教授 関 一 彦 井口先生には東大物性研での院生から分子研助手まで15年間御世話になりました。本郷から物性研に移ると,外の 人の出入りが活発で,世界が広がった気がしました。
分子研の創設準備室長,ついで初代の教授になられた先生は,物性研では夕方に帰られることが多かったのが連日 夜の10時過ぎまで残られるようになり,「実験する」と席の後ろに置かれたガラスの真空ラインには遂に出番がありま せんでした。分子研の今に続く開かれた運営体制,学術第一の雰囲気,国際水準の施設や設備などは,先生たちが創 設の情熱に燃えて築かれたもので,今振り返っても尊敬の念を新たにします。
おつきあいして30年,先生の物質に対する「独特の勘」に感嘆してきました。また水素,炭素,多環芳香族炭化水 素,チトクローム c3, ヒドロゲナーゼなど「お気に入りの物質」への愛着と執念にも多くを学ばせて戴きました。
今回の御受章は本当に喜ばしく,心からお祝い申し上げます。これからも御元気で,宇宙環境利用を始めとする諸 分野で御活躍下さるようお祈り致します。
京都大学化学研究所教授 佐 藤 直 樹 東京大学物性研究所井口研究室の最後の大学院生としてご指導を仰いで以来,実に三十年近くになりますが,井口 先生の昨年の文化勲章ご受章は最も嬉しいことの筆頭に挙げられます。
先生が分子科学研究所の設立準備室長からその最初の専任教授として岡崎に「赴任」された1年後,木村啓作さん
(機器センター助手,現姫路工大教授),石井菊次郎さん(物性化学部門助手,現学習院大教授),関 一彦さん(物性 化学部門リサーチフェロー,現名大教授)ら物性研以来の先輩に合流し、旧愛知教育大学図書館だった建物で,期待 に満ちた新しい環境下での先生のお仕事に(研究だけでなく環境整備,建物建設,地域との交流? なども)分子集 団研究系技官として加わらせていただくことになったのが,つい昨日のように思えます。
それから8年,分子科学研究所がいわば最初のピークを迎えた時期に私は岡崎を離れましたが,先生はさらにその 後の約十年間を日本の分子科学の発展に身をすり減らして尽くされ,分子科学研究所の名が世界に揺るぎないものなっ たことは誰もが知るところです。全く幸運にも先生のご薫陶を受けることのできた私としては,今回の先生のご受章 をひたすらお慶び申しあげる次第です。